まえがき・・・・・・・・・新潟中央病院整形外科脊椎・脊髄外科センター 山崎 昭義
未曾有の災害をもたらした猛烈な台風19号による出発スケジュールの乱れを何とか掻い潜って、2019年10月13日にDenmarkのCopenhagenに集合し、Rigshospitalet and University HospitalのMartin GerchenとRobert Svardal-Stelmerとともに、Tivoli公園内にあるDenmark料理レストランで夕食をとりながら交歓した。
翌14日に、彼らの病院を訪れ、Martin Gerchenによるlectureの後、二人が一緒に行った成人脊柱変形に対するPSO手術を見学した。その際、斎木、和泉両先生は手洗いに入ったが、他の先生方はオペ室内での見学となった。その日の夕にはFinlandのHelsinkiに移動した。翌15日に、IGASS Forumに参加し、半井、斎木、和泉、和田、熊野(洋)、山崎の6人がそれぞれ発表した。その他にも、今回のツアーに同行はしていないものの、札幌手稲渓仁会病院の青山 剛(たけし)先生も昨年同様に発表され、日本人による発表は計7名と最多であった。そして、faculty dinnerでは、日本ではなかなかお目にかかれないトナカイの肉を堪能し、欧州の脊椎外科医達との再会に会話が弾んだ。
翌16日は、早朝からハイヤーで2時間程かけてTurku University Hospital を訪れた。ここTurkuは、我々日本人には馴染みが薄いが、歴史的には、Finland最古の町で、かつての首都であり、主要なハンザ同盟都市であった。1809年FinlandがSwedenからRussia帝国に割譲され、1819年にFinland大公国が成立すると、その首都はHelsinkiに置かれたが、1840年代末まではTurkuがFinlandでもっとも人口の多い都市であり続けた、とのことである。この様にFinlandは、中世の初頭から冷戦終結後までSweden(西方教会、汎ゲルマン主義、資本主義)とRussia(正教会、汎スラブ主義、共産主義)との間の緩衝国であり、東西交流の窓口であった。話を元に戻すが、Turku University Hospitalで、まず小児脊椎外科医のIkka Heleniusによるlectureを拝聴した。その後、昨年のBarcelonaと同様、前方からのAISに対する、新しい non-fusion surgeryである、胸腔鏡下のtethering surgeryを見学した。半井、斎木両先生は手洗いに入ったが、他の先生方は別室においてビデオカメラを通しての見学であった。この術式は、欧米での歴史も浅く、まだ日本に導入されておらず、今後どの様に広まり、発展して行くのか見守っていきたい。手術後はIkka Heleniusを囲んで、院内のカフェテラスでのランチを御馳走になった。Turkuの市内観光を楽しんだ後、列車にてHelsinkiに帰還。ところで、日本の出発直前に両方の病院から、急遽MRSA test陰性である証明の提出を求められたが、今後この様な準備が必要かも知れない。夜は、タイ料を囲んで、Bordeaux大学のIbrahim ObeidやMilano Galeazzi病院のPedro Berjanoとの再会を楽しんだ。
翌17日は、Eurospineに参加したり、観光を楽しんだりして、夜はMedical University of ViennaのRonald J. Sabitzerと再会し、来年のViennaでのIGASSやEurospineに思いを馳せ、あるいは病院見学先の選定に関する情報などを得て有意義な時間を過ごした。すべての日程を無事終了し、翌18~20日にかけて、それぞれ無事帰路に就いた。
【参加者氏名】
●半井 宏侑(ひろゆき) 関東労災病院整形外科 平成24年卒
●斎木 文子 横浜労災病院整形外科脊椎脊髄外科 平成18年卒
●和泉 智博 新潟南病院整形外科 平成12年卒
●和田 圭司 東京女子医科大学整形外科 平成10年卒
●熊野 洋(マネージャ) 国立病院機構相模原病院整形外科 平成13年卒
●山崎 昭義(コンダクタ) 新潟中央病院整形外科脊椎・脊髄外科センター 昭和60年卒
●長谷 斉(コンダクタ) みどりヶ丘病院脊椎脊髄外科センター 昭和50年卒
●熊野 潔(コンダクタ) 品川志匠会病院 昭和38年卒
|